留学をしたいと思ったきっかけ
2014年から2015年にかけて、イギリスの大学院に留学予定のアラサー女子です。
留学に行こうと思ったきっかけから、学校選び、出願、学校生活等、留学の思い出の備忘録として色々綴っていけたらと思います。
最初の投稿は、大学院留学に行こうと思ったきっかけを綴ってみたいと思います。
まず、私のことについて簡単に紹介させていただければと思うのですが、某大学国際教養学部卒→留学カウンセラー@某留学予備校→アドミスタッフ@某国際開発コンサル会社という感じで現在は開発業界に従事しています。
仕事は休職という形での留学になります。
大学時代は国際教養学部という学部の性質上、専門はありませんでした。
学位自体は国際教養学士という学位が来るので、何とも曖昧で使えない学位ですね。苦笑。
一応ゼミには所属をしていて、大学時代は言語学にとっても興味があったので、個人的にはApplied Linguistics専攻でした。
大学時代は1年間留学をすることが義務づけられているので、ワシントンDCにあるAmerican Universityという大学に留学していました。
そもそも国際教養学部になぜ進学を希望したかという所から話は始まるのですが、高校生の頃は「国連のような国際機関で働いて世界平和に貢献したい!」というスケールの大きい夢があり、「大学卒業後は海外の大学院に行って平和について学びたい!」と当時の志望理由書を読み返すと書いてありました。
大学に入るまでは自分は英語はできる方なんだという自信満々な感じでしたが、大学に入ってそんな思い込みは一瞬で崩れ去り、そこからの堕落は早かったです。笑。
アメリカ留学中は辛くて辛くてしょうがなかったです。苦笑。
その後、色々ありましたが幸いにも?かねてから希望をしていた国際開発業界に拾っていただき、現在に至っています。
基本的に開発業界は修士号が必須です。
私は現在アドミスタッフ?という言い方が正しいのかわからないのですが、技術以外の契約手続きだったりプロジェクト管理に関わっているので、そういう場合は修士号がなくても開発業界に従事できたりします。
元々私は国際協力の中でも上流で働きたいと思っていたので、現地中心で働きたい派ではないし今でもそれは変わりません。
なので、基本的にはコンサルをやりたいわけではないので、自分の今のポジションに何ら不満はないというのが事実です。
ただ、何となく日本を離れたいマイナスな理由ができてしまったので、18歳の時から行きたいと思っていたし「今でしょ!」とばかりに留学に行ってみようかなーと軽い気持ちで行くことに決めました!
前回のアメリカ留学の時もそうですが、基本的に私は日本で耐えられないぐらい嫌なことがあると海外逃亡する癖があるようです。
自分の今のポジションに不満はないとは思いつつも、仕事内容の広がりが見えないのも事実と言えば事実なので、新しい可能性を自分で探るため、頭を冷やすため、そして自分を客観的に見つめなおすためにも院留学は良いかなと思いました。
ただ、私は前回のアメリカ留学でものすごく辛いと思ってしまった派なので、正直今回の決断には自分で自分にビックリです。
きっと私のアメリカ時代を知ってる人もビックリすると思います。
それぐらい日本を離れたい理由ができてしまったっていうのも事実ですが、社会人になると制約のない環境で何かに挑戦をできる機会が極端に減るなということを実感してしまったんです。
社会人になるとある程度のルーティンワークと責任の下で働かなければいけないですし、失敗をすると自分の立場やお金が絡んで来たりします。
そうした時にふとアメリカ留学時代を思い出してみると、当時自分が思っていた「授業についていけない」、「英語ができなくて恥ずかしい」という思いは、できなかった所で誰にも迷惑をかけることでもなく、何か減るわけでもなく、本当に平和な悩みだったんだなって思えるようになりました。
それに自分が思ってるほど周りはそれを気にしていないなって思えるようにもなりました。
そういう結論に至った時に、何にも制約のない環境でもう一度何かに挑戦したいって思うようになりました。
とっても長くなりましたが、これが留学をしたいと思った大まかなきっかけです。
留学に行こうと思ったきっかけから、学校選び、出願、学校生活等、留学の思い出の備忘録として色々綴っていけたらと思います。
最初の投稿は、大学院留学に行こうと思ったきっかけを綴ってみたいと思います。
まず、私のことについて簡単に紹介させていただければと思うのですが、某大学国際教養学部卒→留学カウンセラー@某留学予備校→アドミスタッフ@某国際開発コンサル会社という感じで現在は開発業界に従事しています。
仕事は休職という形での留学になります。
大学時代は国際教養学部という学部の性質上、専門はありませんでした。
学位自体は国際教養学士という学位が来るので、何とも曖昧で使えない学位ですね。苦笑。
一応ゼミには所属をしていて、大学時代は言語学にとっても興味があったので、個人的にはApplied Linguistics専攻でした。
大学時代は1年間留学をすることが義務づけられているので、ワシントンDCにあるAmerican Universityという大学に留学していました。
そもそも国際教養学部になぜ進学を希望したかという所から話は始まるのですが、高校生の頃は「国連のような国際機関で働いて世界平和に貢献したい!」というスケールの大きい夢があり、「大学卒業後は海外の大学院に行って平和について学びたい!」と当時の志望理由書を読み返すと書いてありました。
大学に入るまでは自分は英語はできる方なんだという自信満々な感じでしたが、大学に入ってそんな思い込みは一瞬で崩れ去り、そこからの堕落は早かったです。笑。
アメリカ留学中は辛くて辛くてしょうがなかったです。苦笑。
その後、色々ありましたが幸いにも?かねてから希望をしていた国際開発業界に拾っていただき、現在に至っています。
基本的に開発業界は修士号が必須です。
私は現在アドミスタッフ?という言い方が正しいのかわからないのですが、技術以外の契約手続きだったりプロジェクト管理に関わっているので、そういう場合は修士号がなくても開発業界に従事できたりします。
元々私は国際協力の中でも上流で働きたいと思っていたので、現地中心で働きたい派ではないし今でもそれは変わりません。
なので、基本的にはコンサルをやりたいわけではないので、自分の今のポジションに何ら不満はないというのが事実です。
ただ、何となく日本を離れたいマイナスな理由ができてしまったので、18歳の時から行きたいと思っていたし「今でしょ!」とばかりに留学に行ってみようかなーと軽い気持ちで行くことに決めました!
前回のアメリカ留学の時もそうですが、基本的に私は日本で耐えられないぐらい嫌なことがあると海外逃亡する癖があるようです。
自分の今のポジションに不満はないとは思いつつも、仕事内容の広がりが見えないのも事実と言えば事実なので、新しい可能性を自分で探るため、頭を冷やすため、そして自分を客観的に見つめなおすためにも院留学は良いかなと思いました。
ただ、私は前回のアメリカ留学でものすごく辛いと思ってしまった派なので、正直今回の決断には自分で自分にビックリです。
きっと私のアメリカ時代を知ってる人もビックリすると思います。
それぐらい日本を離れたい理由ができてしまったっていうのも事実ですが、社会人になると制約のない環境で何かに挑戦をできる機会が極端に減るなということを実感してしまったんです。
社会人になるとある程度のルーティンワークと責任の下で働かなければいけないですし、失敗をすると自分の立場やお金が絡んで来たりします。
そうした時にふとアメリカ留学時代を思い出してみると、当時自分が思っていた「授業についていけない」、「英語ができなくて恥ずかしい」という思いは、できなかった所で誰にも迷惑をかけることでもなく、何か減るわけでもなく、本当に平和な悩みだったんだなって思えるようになりました。
それに自分が思ってるほど周りはそれを気にしていないなって思えるようにもなりました。
そういう結論に至った時に、何にも制約のない環境でもう一度何かに挑戦したいって思うようになりました。
とっても長くなりましたが、これが留学をしたいと思った大まかなきっかけです。
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