ヨルダン・イスラエル旅行~エリコ&国境封鎖&帰国~

いよいよ最終日!

トラブルはこの日に起こります。。。


いつも通り朝食を済ませ、ホテルを出発!

少-しだけ時間があったので、予定にはなかったですが急遽パレスチナ自治区のエリコに立ち寄ります!とのこと。

バスの中は拍手が起こっていました。

エリコは国境とも近い街なので、立ち寄りやすいですね。

エリコは世界最古の街と言われています。

何を定義に街というかですが、街というのは城壁があることが前提だそうで、それをもって世界最古の街だそうです。

エリコもパレスチナ自治区になりますが、ここの人達は本当に静かで、やる気さえあればアラブ人もユダヤ人も共存できるというお話が印象的でした。

実際8割ぐらいの人がお互い静かに暮らしたいと思っているのに、残り2割が争っているため巻き込まれてしまっているとのこと。


エルサレムからエリコへは少し時間がかかるので、街並みを見ながら色々なお話を聞きました。

たとえば、家の外観。

家の外観を見るだけでユダヤ人かアラブ人かというのがわかるとのこと。

その違いは屋上についている水のタンクだそうです。

ユダヤ人は基本的に白いタンクしかなのですが、アラブ人は黒いタンクも一緒に置いているとのこと。

確かに、言われてみるとキレイに色がわかれています。

何で黒いタンクを置いているのかというと、今はもうそんなことはないらしいですが、昔はアラブ人居住区のみ断水をすることがよくあったようでその時の名残で黒い水タンクを置いているそうです。

ちなみにアラブ人宅はパラボラアンテナが立っている家が多いですが、基本的にアラブ人はイスラエルのニュースは信用していないので、アラブのニュースを受信しているとのこと。

自分の国のニュースが信用できないって思うなんて悲しいですね。。。

まぁ確かに私も日本のニュースをどこまで信用するか否かは個人判断ですが。。。

ちなみにイスラエル領内に住んでいるアラブ人はパレスチナアラブ人とは違い、イスラエルの市民権を持っている人になります。

元々その土地に住んでいた人ですね。

なので言語はヘブライ語も話すしアラビア語も話すそうです。

色々な背景からヘブライ語を話すのに抵抗ないのかなーと思ったりもするのですが、イスラエルではヘブライ語を話せないと暮らしていけないそうなので致し方ないのかもですね。


そして更に進むと行きに見た丘陵地帯に再び戻ってきました。

ここにはベドウィンの人達が住んでいます。

家ではなくて、あくまでもテント以上家以下の簡易住宅ですね。

ハリボテ的な感じの。

かと言って彼等はお金がないわけではなく、お金を持っているベドウィンはものすごーくお金を持っているそうで車も持っていたりするそうです。

モンゴルのゲルみたいに中では普通に電気も通ってるし、若い子達は携帯を使っているそうです。

では何で簡易住宅に住んでいるのかという話ですが、イスラエルは7割が国有地だそうで、この一帯も国有地エリア。

なので誰かが家を建てたりすれば、周りもみんな家を建てだすのでそれはイスラエル的にもちょっとっていう感じみたいなので、今の居住形態を保つのであればここに残って良いという相互合意で今に至るみたいです。

なかなかガイドブックでは知り得ない情報がたくさんですねー。


そしてそんなこんなでエリコに到着。

エリコもパレスチナ自治区に登録されてから、土地価格が上昇し始めたらしく、ここもパレスチナアラブ人のお金持ちが住む場所だそうです。

お城みたいな家がたくさんです。

一口にパレスチナと言っても場所によって全然違うんですねー。

あとはJICAの事務所があったり、大蔵省のようなものがあったり。。。

確かにJICAはエリコ案件多いですもんねー。

あ、あとこの辺りは泉があるらしいので、オアシス的な空気でした。


あまり時間がなかったので、お土産センターの上から辺り一帯を展望できるとのことで、行くことに。

そこから見えたのはまず誘惑の山。

私もこの誘惑の山はアニメで見た記憶があります。

でも山と言ってもエリコから見ると山だけど、エリコが海抜低すぎて、実際に誘惑の山に行くと平地だそうです。

そして、城壁のようなものがある小さな遺跡。


私もここで初めて知ったことなのですが、基本的に昔の人が街を征服する際は昔の街の上に街を建てるんだそうです。

でも一番下の石の土台の部分はどうしても取り除けないので、征服と略奪を繰り返すとどんどん街が高くなっていくそうです。

その典型例がエルサレムとのこと。

確かに!!!!

エルサレムってすごく高くて常に坂道で、国境の死海エリアからは常に上り坂なんです。

ちょっと感動!


その後は下のお土産屋さんをぶらぶら。

このお土産屋さんにはモロッカンオイルが置いてあります。

私もその昔使っていましたが、髪に使うと良い感じなんですよねー。

でも日本より高いかも。。。


このお土産屋さんで面白かったのが、磁石でしか取れない不思議な泥パック。

とにかくトライしろトライしろとうるさいので、トライしてみたら磁石に吸われてる感じが不思議なパックでした。

ツアーのみんなに伝えてきたらプレゼントあげると言われたので、なんとなーく伝えてきました。笑。

そしたら3ドルの泥パックくれた!

ラッキー。笑。

肝心の磁石泥パックは80ドルとのこと。

高いなー誰か買った人いるのかなー。。。


お店の前にはエリシャの泉があります。


帰りにエリコの繁華街的な所を通ってきたけど、ここでも手を振ってくれる子供がいたり人懐っこいですね。


そんなこんなでいざヨルダンに出国!と思いきや、まさかの事前通告なしの国境封鎖。

軍事的な理由だそうで、それ以上の理由は教えてくれないらしい。

そして13時までゲートは開かないらしい。

私達の飛行機は14時10分アンマン発。

それじゃあ間に合わないよーということで、急遽北側のガリラヤ湖方面の国境を利用することに。

ひたすらヨルダン川を横目に西岸地区をバスが走ります。

地形的に言うとアンマンの空港はアレンビーの国境の方が断然近く、北側に向かっているということはまた同じ道をヨルダン側で南下してということになります。

というか多分、いや絶対飛行機乗れないなーという予感は既にしていました。

そして北側の国境というのがアレンビーから結構遠い。

1時間ぐらいありました。


その間、西郷さんがパレスチナ問題について、イスラエルで兵役も経験して帰化した日本人としての独自の見解を話してくれました。

こういうの熱いですよねー私こういうの大好きです。

朝まで生討論したい感じ。笑。

あ、ちなみに西郷さんはパレスチナ難民のNGOでも働いていらっしゃるのです。

まぁよく言われることですが、やっぱりそういう所の人達は援助慣れしてしまっている&かつ被害者意識が強いため、そういう援助が彼らのやる気を削いでいるのかなと私も感じました。。。

一般的に悪いと責められるイスラエルですが、彼等の歴史を考えるとイスラエルという国にかける思いは強いでしょうし、何か一番悪いのは自分達のことしか考えていない第三者が関与したことかなと思わずにはいられませんね。

国連決議だってアラブ諸国、もっと言うとイスラム教国は各々票を持っているわけだからパレスチナ寄りの決議になることだってあるだろうし、重大な問題に関してはそれぞれ利権の異なる常任理事国がいるんだから解決するものもしないですよね。

拒否権なんてシステムもう辞めれば良いのにって感じですよね。


そんなことを色々頭で考えている内に国境到着。

私はもう半ばこの日に帰ることを諦めています。。。

ここの国境はアレンビーと違ってちょっと面倒で、国境を越えて橋を渡るまでは乗り合いバスに乗らなければいけないので、アレンビーよりも更に時間がかかるわけです。

アレンビーの場合は税関超えるとすぐにツアーバスなり何なり自分の交通機関に乗れるので。。。

まぁ出国時も特に何も聞かれるわけでもなく、入国時に発行された名刺大のカードの裏にスタンプが押されます。

でもここでも腹立つことが。

めっちゃ急いでいる私達の後ろに列に並ばずに、列に入りたそうなイスラエル人の女の子が。

ヘブライ語で税関とやりとりをした後、税関職員が私に「彼女急いでいるみたいだから、先に手続きさせてくれないか」と聞いてきました。

みんな急いでるんだし、税関職員がそんなこと頼んじゃダメでしょーと思い、「私達も意味不明な国境封鎖でこんな所まで遠回りして来て、飛行機に間に合うか間に合わないかの瀬戸際で急いでるんだから絶対無理!」と断っておきました。


そこからがまた長い。

バスも乗り合いなので、すぐに出発してくれるわけではないし、私達のグループは人数が多いので先にエティハド航空利用の人だけ乗るようにということになったのですが、何が何だかわからず乗り込んでしまう人もいたり等々。

乗り合いバスに乗り込んで連れてこられたのはヨルダン側の入国審査。

ここがまた腹が立つポイントで、列に並んでるにも関わらず、私達が割と人数が多いので、職員がお昼に行きたかったのか急ぎだって言うのに全然通してくれない。

後ろの椅子で座って待ってろと。

意味がわかんないんですけどって感じですよね。

ヨルダン人の現地ガイドさんもこの時既に合流してくれていたのですが、彼が話しても通じない。

添乗員さんもブチ切れ。

でも全然入れない。

そんな中彼の上司らしき人間にチクったところ、上司がその人を怒鳴り散らし、彼はしぶしぶ入国審査を進めることに。

外を見ると既に次のグループのバスが来ていました。

結構ロスタイム使いました。。。


そしてやっとこさバスに乗れると思ったら、今度は荷物のチェック。

ここでも後ろの西洋系の人に、グループ別れちゃったから先に通してくれないか頼まれたけど、もちろん却下。

荷物のチェックも7割ぐらいの確率でスーツケースまで開けさせられて、私開けさせられても1回開けたらもう閉める自信ないんだけどって思ってたら私はスルー。

良かった。


そしてやっと私達のバスに乗車。

アンマン空港に向かうけど、意外と遠いし道路整備が不十分だからか渋滞がひどく、全く着く気配なし。

結局空港に着いたのは、15時過ぎと私達の飛行機が飛び立ってからでした。。。


さて、ここからどうしようという話なのですが、基本的にツアーなのであまり個人的に対応もできません。

ここがツアーの難点ですね。

どちらにしても飛行機が遅れたわけではないので、航空会社の責任はなく、また保険がおりるかもほぼ下りないそうで、夜出発のカタール航空という選択肢もあったのですが、航空会社を完全に変える場合は航空券の買い直しということになり自腹になるそうです。(約20万円)

ツアー会社的にも軍事的な理由は免責事項となっているそうで。。。

なので、次の便のエティハド航空で帰るという選択肢しかないのですが、アブダビ-成田も1日1便なので、今回の飛行機を乗り過ごした時点で日本到着は翌日以降が確定していたわけです。

その後添乗員さんと現地代理店、及び航空会社との間でやり取りがあり、結局は手数料約3万円で同日深夜3時の便か1日遅れの全く同じ昼出発の便でアブダビに向かい、日本に帰れるとのこと。

アンマン-アブダビが混み合っているそうで、空席状況から全員一緒の便には乗れないので、この区間だけは2グループに分かれて飛行機に乗ることに。

問題は深夜3時の便の人。

深夜3時ということは、今から約8時間後には空港に来ていなければならず、更にアブダビの空港に着いてから、日本に向かう便まで10時間以上待たなければいけないこと。

ということはほぼ寝れないわけですねー。

昼の便の人は普通にヨルダン泊でホテルでゆっくりできますが。。。

ただ、それではあんまりだということなので、深夜便の人達は急遽アブダビ現地観光を添乗員さんが手配することに。

でも前日だったので、手配できるかはギリギリまでわからなかったみたいですが。。。

それに寝ないで暑いアブダビ観光はなかなか辛いものがあります。


これに関して希望をとっていると大変なことになるので、ここはもうツアー会社がランダムに決めた便に乗ることに。

私は翌日の昼便だったので、ホテルで1泊ゆっくりできることが確定。


とりあえず深夜便に乗るにしても、翌日の便にしても1回ホテルにということだったので、空港からアンマン市内へ。

実はこのホテル代も、ツアー会社が免責ということは誰が持つの?ということになり、深夜便の人は私ホテルに行かないでそのまま空港にいたいとか色々言い出したり。。。

まぁ結局はホテル代もバスチャーター代もツアー会社もちで、私達が負担したのは飛行機変更手数料3万円だけだったのですが。。。

添乗員さんも大変ですねー。。。


ということで、このツアー初めてアンマン市内中心部を通ることに。

夕方だったので渋滞しています。

でもさすがにアンマンは都会ですーカイロとかを彷彿としちゃいました。

普通に高いビルは建ってるし、道路はキレイだし、多分日本人が思っているヨルダンのイメージとは違うかと。。。

これはアフリカにも言えることかもですが。。。

マックやスタバなんかもオシャレです。


でもホテルはCham Palaceという少し中心部から距離のあるホテルに。

4つ星ホテルということで、このツアーの中では一番豪華なホテルでした。

部屋も一番広かったし、初めてのチェーンロック!

これで安心して寝れる!

ただドライヤーが外されていたり、暖房が途中めっちゃうるさかったりメンテ面にはちょっと問題ありですが、基本は問題ないでしょう。

他の人の部屋ではシャワーが出なかったという人もいましたが。。。

Wifiも今までで一番早かったです。


レストランもそこそこキレイで食事もおいしく、トラブルで疲れ切った体を癒しました。

でも深夜便の人達は息つく間もなく出発なんですよねー。

私はこのツアー初めてゆっくり目覚ましをかけずに爆睡できました。

朝食もゆっくり、のんびり、仲良くなったご夫婦と一緒にとり、ゆったりした出発でした。


そして空港に着いてチェックイン。

チェックインゲートから搭乗ゲートが近いというか思い切り丸見えなので、中に何があるかは一目瞭然です。

スタバがあったので、というよりずっとスタバに行きたいと思っていたので、やっとスタバにありつけました。

ヨルダンのスタバタンブラーなんて持ってる人なかなかいないだろうということで、タンブラーも購入。

トフィーナッツラテをヨルダンで飲めるなんて不思議と思いながら、昨日のバタバタが嘘のように平和な時間を過ごしました。


アンマン-アブダビの飛行機は満席。

というか団体客がめっちゃ多い!

どこの団体客かというとシンガポール、インドネシア。

シンガポールはイスラム教系の団体で、インドネシアはキリスト教系の団体でした。

私はたまたま飛行機で隣になった人がインドネシア人の家族で、奥さんが人懐っこいというか日本に興味があるようだったので、結構お話しちゃいました。

コミュニティチャーチのグループでクリスマスをお祝いするために、イスラエルに行ったとのこと。

ペトラ遺跡も行ったらしく、私達と同じヨルダン出入国になったそうです。

帰りはアブダビで1泊するとのこと。

何かとっても感じが良くてかわいくて若いお母さんでした。

私とそんなに歳が変わらなそうなのに、12歳の娘が横に座っていたので、何歳なんだろうと思ってしまいました。


そしてやっとアブダビ到着。

ここまで来ると安心感がぐっと出ますね。

無駄に私の好きなUAEブランドのチョコレートPatchiやラクダのミルクで作ったチョコやデーツチョコ、ヌガーなんかを買ってしまいました。

ホントに無駄に買いました。。。

配るしかない。。。


成田線はガラガラ。

真ん中3席占領できました。

あんなに寝たのにちょっと疲れてたみたいで、ほぼ爆睡でした。


そして、1日遅れでやっと成田到着!

無事に帰って来れて良かった!

色々あったけど、これも旅行の醍醐味ということで、今回ヨルダン・イスラエルに行けて本当に良かったです。

次はどこに行こうかなー。
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ヨルダン・イスラエル旅行~パレスチナ観光&ショッピングモール~

午後はパレスチナ自治区にあるベツレヘムへ。

パレスチナというと難民のイメージや紛争をしているイメージだけど、場所によって全く違います。

ここベツレヘムは完全なる観光地。


ニュースでよく言われているような分離壁はあるけれども、ベツレヘムでは壁というより塀という表現が正しいかもしれません。

分離壁も全部をぐるっと覆っているわけではなく、一部のみだそうです。

まぁいくら塀の高さとはいえ、そんなものを急に建てられたら心象は良くないですよねー。

おそらくガザの方に行けば、本当に分離壁という名前にふさわしい高い壁になるんでしょうし。。。

でもこの壁を建ててからアラブ人からの攻撃が減ったのもまた事実だそうです。

複雑ですね。。。


パレスチナ自治区に入る為には検問所を通らなければいけません。

たまーにパスポートチェックがあるそうなので、私達も一応パスポート持参。

でも今回は行きも帰りもチェックはありませんでした。

あとはパレスチナ自治区に入るためには、前述したとおり、車のナンバープレートやドライバーの人種等も色々決められているそうです。


でもベツレヘムの辺りは基本的にお金持ちのパレスチナアラブ人の居住区らしくて、家が大きくて綺麗。

車も持ってるし、普通の人より確実にみんなお金持ってます。

ニュースではこういう普通な側面はなかなか伝えられないですからね。。。


私達はバスターミナルに向かいます。

途中「I♡Bethlehem」のオブジェが。

みんな降りて写真を撮るので、その辺りは渋滞していました。

最近できたものだそうです。


そしてなんとこのバスターミナル、フリーwifiが使える!

素晴らしい!

イスラエルでもヨルダンでもなかなかwifiが弱くて困っていたので、思わずポケモンGoを開いてしまいました。

普通にポケスポットもジムもパレスチナ内にたくさんありました。。。

ワンリキーとかゲットしちゃいました。


ベツレヘムに来た目的は、イエスの生誕教会に行く為。

生まれた場所は今はパレスチナ自治区になっているのです。

ほとんどイスラム教人口の中に、そんな場所があるって不思議ですね。

もちろん少数だけどキリスト教信仰の人もいます。


私が行ったのは26日だったので、クリスマスの名残で大きなツリーが生誕広場の前に飾られていました。

でも基本的にキリスト教の人が多いわけではないので、観光客向けに申し訳程度に置いているみたいですけどね。

ヨーロッパとかの方がもっとクリスマスらしさは味わえるとのこと。


バスを降りてから生誕教会までは少-しだけ歩くので、街並みウォッチ。

本当に普通にみんなが生活を営んでいます。

当たり前ですが、パレスチナ自治区内はアラブ圏ですねー。

ケバブの屋台とかおいしそうです。

途中、私の中ではちょっと有名なSTARS&BUCKS COFFEEが!

この偽物ちょっと見てみたかったので、見つけて感動!


そして生誕教会の向かいにはもっと露骨な偽物が。。。

STARS COFFEEという名前だそうですが、ロゴはスタバまんまでした。

これは多分ダメですよねーもしかしたら微妙に顔がどこか違うのかもしれませんが。。。

興味があったので店内まで行ったらニーハオと話しかけられ、いや違うからと思いマグカップだけ見物して終了。


そしていよいよ生誕教会ということになりますが、生誕教会もちょっと改修工事をしていました。

ここも何かちょっとエキゾチックな装飾で、私が思っていたキリスト教の装飾とは少し違うなーという印象。

イエスが生まれた場所というのを見るために並びます。

長い時は3時間待ったりもするそうですが、私達は30分ちょっとで入れたかな、確か。。。

入口がめっちゃ狭いのに人がわーっと押し寄せてくる感があるので、ドミノ倒しにならないよう気を付けましょう。

あまり内部で談笑したり、大声を出していたりするとパレスチナアラブ警察の人に怒られるそうです。

ちなみにここはパレスチナで初めての世界遺産ということで、管理はパレスチナアラブ警察下ということになります。


いよいよ中に入ろうとしたその瞬間、なんとVIP(誰か知りませんが)が来るからもうすぐここを閉めると警察の人が、

そんなバカな!

でもどうにかいそいそと入って、生まれた場所を見ることができました。

ガイドブックに載っている星型みたいな床を見ることができました。

ここでも信者の人は額をくっつけて十字架を切っていました。


さっさと外に放り出された私達は少しだけ教会の内部見学。

マリアが柱を楯に教会の崩壊を防いだという時の指穴が柱に残ってたりもします。


そしてその後更に奥に行くと今度はローマ正教の管理の教会が。

ここはちょっと私達の見慣れてる教会の装飾です。

ここは聖書をヘブライ語からラテン語に翻訳した人が、翻訳のために長年こもっていた教会だそうです。

地下に行くとその部屋が見れたりもします。

そこに覗き穴のようなものがあるのですが、そこから先に見えるのは生誕教会の生まれた場所だそうです。


バスターミナルに戻る途中、西郷さんのお勧めでざくろジュースを飲むことに。

イスラエル内にもパレスチナ内にも、このざくろジューススタンドがたくさんあるんです。

その場で機械でギューっと搾ってくれるので、搾りたてです。

味は見たまんまと言いますか、あまりざくろジュースを飲むことってないと思うので、近いところで表現すると、数年前にKARAがCMをしていたホンチョというざくろ酢があったかと思うのですが、あの味そのまんまです。

美容と健康に良さそうです。


帰りはパレスチナ人が経営するお土産屋さんへ。

オリーブ石鹸が肌がつるつるになって良いとのことだったので、まとめ買いしてしまいました。

顔に使うのはちょっと怖いので、体とか手に使うのが良いですかね!


その後イスラエルに戻り、時間が少しあったようなので、ショッピングモールに行きました。

目の前には電車の駅が!

そういえば電車見てないなーツアーで行くと電車を使わないので興味が薄くなってしまいます。。。

実はこの電車不思議でテルアビブまで行くのに2時間かかるそうですが、車で行くと40分なので誰も使わないそうです。

でも今新しく作っていて、今度できる電車は車と同じぐらいの時間でテルアビブまで行けるそうなので、今後はもっと乗車率があがるのではとのことでした。


ショッピングモールはアメリカのものがたくさん入った見慣れたものでした。

普通においしいコーヒーが飲みたかったので(ホテルのコーヒーがおいしくなさすぎて萎えていたので)、スタバを探したのですがこのモールにはないようです。

ちょっとタンブラーとか見たかったなーと。

スーパーでばらまきようのお土産を買おうと入ってみたのですが、ヘブライ語だらけで読めなくて作り方等長いものが書いてあるのは買えませんでした。

クスクスみたいなのとかちょっと欲しかったのですが。。。

西郷さんがお勧めしてたのがデーツシロップとワインと塩。

デーツシロップはヨーグルトとかアイスにかけて食べるらしく、健康にもちろん良くて貧血が治ったりの効果があるのだとか。。。

確かに日本にはデーツシロップってないですもんね。というよりデーツをあまり食べないですよね。

ちなみに私はデーツ苦手です。

塩は紅海の塩を使っているようで、確かにおいしそう。

でも荷物が入るかわからなかったので買いませんでした。。。

個人的にはお茶の種類が珍しいのがたくさんあって大量に買ってしまいました!

Wというのがローカルブランドだそうで、私はミントティーとザクロティー、ジンジャーレモンティーを購入。

家で砂糖たくさん入れてミントティーを飲むのが楽しみ♡


あとはイスラエルと言えばSABON。

でもここに来てまでSABONを買う気にはなれず。。。

値段はだいぶ安いみたいですけどね。。。

そもそも私はSABONよりLALINE派なんだから!と思ってたらLALINEも当然のことながらモールに入っていました。

でも日本みたいにディズニーとかキティちゃんコラボみたいな商品はなく。。。

この日はBUY 3 GET 3 FREEという滅茶苦茶な日だったので、なぜか6つLALINE商品をゲットして帰ってきました。。。

荷物が。。。

でも1個の単価は約700円!

日本ではありえないので、ちょっとお得感。


そんなこんなでショッピングモールを後にしホテルに到着。

ご飯もたくさん食べて、翌日はいよいよ日本に帰国!のはずでした。。。

ヨルダン・イスラエル旅行~エルサレム観光~

いよいよエルサレム観光メインの日です!

この日を1番楽しみにしていました!


朝ご飯は確かに肉製品が全く置いていない。。。

なのでチーズと卵とパンを食べました。

チーズがこれまた塩辛い。。。

パンと一緒に食べないと無理な辛さです。


まず一番最初に向かったのは岩のドーム。

ここはメッカ、メディナに次ぐイスラム教の聖地ということになります。

預言者ムハンマドが天国に旅立った岩があるから聖地なようです。

ここに入るにはまずセキュリティチェック。

ちなみにこの岩はユダヤ教にとってもアブラハムがイサックを捧げた場所なので聖地になるらしいのですが、今はイスラム教の管理下にあるので、ユダヤ人はここに入ってこれないそうです。

ちなみに観光客は敷地内には入れるけれども、モスク内には現在入場できないそうです。

敷地内に入れるか入れないかもその日に行ってみないとわからないそうです。

岩のドームに入るには女性はピタっとした服装や膝上のスカートを履いていると入れない可能性があるそうなので、極力ダボッとして体の線が出ない服を着ましょう。

もしくは巻物を持って行って巻きスカートのようにして足を隠しましょう。

岩のドームのセキュリティポイントから岩のドームの敷地までは橋みたいなのがあるのですが、そこから嘆きの壁が見えます。

嘆きの壁を上から撮れるのはここだけだそうです。

ちなみに岩のドーム内ではカップルや夫婦でも男女間が触れ合うのは禁止らしいので気を付けましょう。

写真を撮る時もピースサインとかはせずに、直立不動でなければダメだそうです。

厳しいですね。。。


でもさすがに綺麗です。

イスラエルに行きたかった理由の一つがこの岩のドームだったので来れて良かった。

岩のドーム前では無料で日本語の「イスラーム概観」というイスラム教に関しての説明書を配っているお兄さんが。

西郷さんが、近年イスラム教は色々な誤解を受けている&内容もなかなか良かったのでもらってみると良いよとのことだったので、みんな殺到し日本語版はあっという間に終了。

お兄さんも戸惑い、2分待ってくれれば日本語版もっと持ってくるからと言って一回引っ込む。

そしたらホントに日本語版持ってきてくれたー!

お兄さん良い人!

岩のドームからは前日に行ったオリーブ山や主の涙の教会、ゲッセマネの辺りが見渡せます。

ロシア正教のマグダラのマリア教会が一番キレイというか女子的にかわいいですかね。

玉ねぎ型がロシアっぽいというか。


ちなみに岩のドームのすぐ下が嘆きの壁ということになるわけですが、ユダヤ人とアラブ人の対立がひどかった時はインティファーダで投石運動がここの岩のドームから嘆きの壁に向かってされたそうです。


エルサレムという都市はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、みんなにとって聖地になるので、基本的に国連は国際管理都市として扱っています。(イスラエルは認めていないみたいですが。。。)

なので各国大使館はエルサレムではなくて、テルアビブに置かれているということになります。


岩のドームから階段を下るとイスラム教徒の為の学校が。

この辺りはアラブ人居住区になります。

このアラブ人居住区から今度はヴィアドロローサ、つまりキリストが十字架を背負って歩いた道が始まります。

風景からはキリスト感をあまり感じないので、すごく不思議な気分ですが。

イエスが十字架を背負ってから、聖墳墓教会までこの道を通って歩いたわけですが、その間に14個の主なストーリーがあり、それをステーションと呼び、各ステーション毎に番号が書いてあり、そこで起きた出来事が絵で描いてあったりします。

日本語では第1留とか第2留とかそんな言い方をしますね。

出来事っていうのは例えば、キリストがここでつまずいたとか鞭打ちを受けたとかそんな出来事です。

ホントにここを歩いたという説と実は違う道を歩いて違う所にお墓があるという説もありますが、もはや誰にもわからないので、信じる者は救われるということで信じておくことにしましょう!

雰囲気としてはモロッコのフェズの旧市街に良く似ています。

なので結構迷子になりやすいので、こういう場所も初めて行く人はやっぱりガイドさんがいた方が良いということになります。


各ステーションをまわった後、一番最後のイエスのお墓があるとされている聖墳墓教会に到着。

すごくややこしいのですが、キリスト教にも一応宗派のようなものが色々あり、一番最初のスポットはエチオピアのコプト教会、その先はアルメニア正教、ギリシア正教、ローマ正教の管理になっているらしいです。

コプト教といえば、エジプトに信者が多く、私がこの旅行に行く前にエジプトでコプト教の教会がテロにあっていましたね。。。

聖墳墓教会は私達が思っている西洋式の教会とはまたちょっと違って、ちょっとエキゾチックな装飾の教会です。

肝心のお墓には並んで入ります。

これが何時間並ぶかは運によるそうですが、私達は数分で入場できました。

写真を撮って良い日と悪い日があるそうですが、この日はダメだと言われてしまいました。


このお墓はアルメニアとギリシアとローマの3派による管理で権力争いがバチバチとされているそうで、今まで誰も修復を行ってこなかったそうです。

みんな自分の宗派の所はすごくキレイに手入れをしているんですけどね。

ですが近年フランスの有名な建築家がここを訪れ、このまま放置しておくとここは崩れると言われたことによって、みんなびびって一気に修復工事にかかったそうです。

なので今は工事中で鉄筋がたくさん。


ちなみにこのお墓の鍵の管理を誰がするか決める際にも、神父さん同士がお墓の前で殴り合いのケンカにまで発展したらしく、今現在はイスラム教のおじさんが鍵の管理をしているとのことです。

なんだかなーという話ですね。。。


あとイエスの遺体を寝かせたという石も教会の出口のような所にあります。

みんな自分の好きな香油を持ってきてハンカチで拭って持って帰るそうです。

信者の人は額をくっつけてしばらく動かない人もいました。

信者の人からするとそれはそれは重要な場所ですもんね。


西郷さんのお話の中で一番印象的だったのは、この聖墳墓教会もイエスが死んだ哀しみを表現していて何だかとても暗いイメージになってしまっているけど、キリスト教の本質はイエスが亡くなってから復活したという希望の部分にあるから、もっとその部分にフォーカスをしても良いのではとのことでした。

なるほど。。。


その後は嘆きの壁へ。

ここもイスラエルと言えば!という場所で、ここに来たかったんです。

嘆きの壁ももちろんセキュリティチェックあり。

入ると嘆きの壁だー!と感動。

ユダヤ教も基本的には男性優遇の宗教なので、壁も男性用と女性用で入口が分かれています。

広さも男性2/3、女性1/3ぐらい。

シナゴークと呼ばれる礼拝堂のようなものも男性側にしかなく、男性側は壁に入場する際にはキッパを被らなければいけないそうです。

男性側の入り口でキッパ(持ち帰り可)をくれるそうです。(ものすごくペラペラでしたが。。。)

そう考えると女性側は壁しかないので面白味半分ですね。。。

レンタルタナハが置いてありました。

もちろんちゃんとユダヤ教徒の人がお祈りに来る場所ですよ!

私達みたいな観光客もわんさかいますが。


ちなみに壁の間にわずかな隙間があって、そこに願いを書いた紙を入れると叶うというジンクスがあるそう。

最近では嘆きの壁のホームページに行くと代わりにプリントアウトして壁に挟んでお祈りしておいてくれるなんてサービスもあるそうです。

でもさすがにそれはあれなので、私もどうにか紙を調達して、ユダヤ教徒の人に混じって嘆いてきました。


ちなみに嘆きの壁というい呼び方は日本人だけがするもので、英語ではWestern Wallと言います。

7段目まではヘロデ大王時代のもので、エルサレムストーンと呼ばれる石灰岩を使っています。

この壁の向こうにあったソロモンの神殿(今は岩のドーム)の回復を願って祈る姿を見て、嘆きの壁と名付けたみたいです。

ちなみにユダヤ教徒の人達は髭がカールしていればしているほど、頭が良いとされているようで、みんな暇さえあればバスの待ち時間とかに手でクルクルカールさせているそうです。笑。

嘆きの壁の後ろに建物がいくつかあるのですが、ここは全部ユダヤ教の学校だそうです。(もちろん男女別)


そこで気になったことがあったので、西郷さんに聞いてみました。

まず、黒装束系の人達はどのように結婚をするのか。

男女別なら出会うチャンスもないので、単純に疑問に思って聞いてみました。

回答はもちろんお見合いとのこと。

大体16歳ぐらいで結婚をして、子供を5名ぐらい持つのが主流だそうです。(普通のイスラエル家庭では大体子供は3名)

子供を5名生んだら当然人口は増える一方なので、黒装束以外の人達の負担が増えるわけで不満が生まれているのも事実だそうです。

更にユダヤ教徒の人達が持っている政党はかなり力が強いらしく、厳しい法律等を他のユダヤ信者の人とかにも強いるため問題が生じたりするそうです。


そして、もう1点気になったこと。

どうやって黒装束系の人達はユダヤ教徒になったのかということ。

もっと平たく言うと政府から生活費が全額支給されるのであれば、なりたい!って思う人もいっぱいいるんじゃないかなーと思ったので。。。

でも基本的には世襲制なので、戸籍で決まってしまっているそうです。

でもあの衣装を着るのは自由らしいので、自称で着ている人もいるそうです。


うーん、なかなか奥が深いですね。。。

そしてこの日は周りが騒がしくお祭り騒ぎ。

何か聞いてみると、ユダヤ教の成人のお祭りだそうです。

あくまでも宗教上の成人ですが、ユダヤ教では13歳が成人とされているそうで、それをお祝いしているとのこと。

そんなお祝いムードの目と鼻の先で、今度は岩のドームからアザーンが聞こえてきて改めてすごい場所だなーと肌で感じました。


その後はバスに少し乗り、シオンの丘へ。

途中、ナッツ売りのおじさんの露店があって西郷さんがお勧めということで、みんな爆買い。

4パックで10ドルということで結構高い気がするのですが、みんなガンガン買っていたので、このおじさん短時間で超儲けたんじゃないかと。笑。


シオンの丘でまず向かったのは最後の晩餐の部屋。

最後の晩餐っていうと何となくミラノの教会の壁に描いてある絵を思い浮かべる人も多いと思いますが、実際に最後の晩餐が行われたのはこの場所です。

実はダヴィンチの絵は結構脚色されているようで、当時のテーブルはコの字型かつ、ご飯を食べる時は枕に肘をついて横になりながら食べていたそうです(たとえるなら家でテレビを観ながらゴロゴロしてお煎餅を食べるスタイル)。

え、そうなるとダヴィンチコード成り立たないじゃん!って思っちゃいました。

そういうオカルトというか都市伝説が好きなもので。。。


その後はダビデ王の墓へ。

嘆きの壁がヨルダン領だった時代は、ここがユダヤ教の最大の聖地だったそうです。

ここでもまた男女別に分かれていて、またしても男性側の方が見所が多い模様。

棺のようなものは一本で繋がっているので壁で隔てられていますが、男性側も女性側も同じ物を見ているそうです。


ここで初めて気付いた、というより教えてもらったのですが、ユダヤ人の建物には必ずメドゥーザというポコっとした突っ張りみたいなものがドアに取り付けられているそうです。

魔除けのようなもので、ホテルの各部屋にもあるから見てみてって言われたので、後でチェックしてみたら本当にありました!

言われなければなかなか気付かないですね!


その後は鶏鳴教会へ。

ここはイエスキリストがユダヤ人から審判を受け、留置されていた場所。

そしてペテロがイエスを知らないと言って、鶏が鳴いた場所だから、鶏鳴教会と言います。

聖書にもその箇所がありますよね。

ユダヤ人が審判を行っている絵が描かれているので、その絵を見ながら西郷さんの説明を聞くことに。

まずイエスキリストは、当時の政治犯、危険人物扱いをされていて、ここまで連れてこられました。

ユダヤ人の議会?のようなものは70名ぐらいで構成されていて、全員一致しなければ裁きを与えられないというシステムだったそうです。

なので70名全員一致というというのはなかなか難しいことで、ほとんどの人がイエスキリストを初めて見た人達なので、本当にこの人が政治犯なのかみんな疑心暗鬼だったそうです。

でも、極め付けの「あなたは神の子か?」という質問で、イエスが「私は神の子だ」と答えた為にイエスの刑が確定することになります。

ユダヤ教もイスラム教も一神教なので、キリスト教のような偶像崇拝は許せないことだし、神を人間レベルまで貶めたという行為が彼等には許せなかったわけです。

ですがユダヤ人は当時奴隷の身分なので、直接イエスを裁くことはできず、ここに拘留をしていたということになります。

ここが大事なポイントですが、イエスを裁いたのはユダヤ人ではなくローマ人で、十字架刑というのはローマの極刑だということです。


もう一つ興味深いエピソードがあります。

ペテロはどうしてもイエスのことが気になって、こっそりと後をつけてこの教会まで来てしまいます。

そこで尋問をされ、イエスのことを知らないと3回答えてしまいます。

でもその質問をした人の質問内容とペテロの知らないという答えが、なんとなくちぐはぐで違和感があるのです。

というのも、イエスもペテロもイスラエルの北の方の出身で、その地方独特の訛りのある方言を話していたそうです。

なので聞いている人もイエスとペテロが同じ地方の出身だということはイントネーションでわかっていたので、知らないはずがないと3回も問い正したのです。

ペテロもそれはわかっていて、ばれるのを恐れてイエスを知らないとだけ答えて、極力多くのことは語らないように意図的にしたそうです。

異邦人のふりをしたと言いますか。。。


どちらもイエスを裏切ったことには変わらないのですが、その後の人生が違うのでユダとペテロの根本的な違いは何だったのかなと思って、思わず個人的に調べてみてしまいました。

まずユダは意図的にイエスを裏切ろうと思って情報を売った確信犯だったので、救いようがなかったとのこと。

でもペテロは決して裏切りたかったわけではなく、人間の弱い部分が出てしまい、思わず自己防衛で嘘をついてしまったわけです。

なので、後に救われたし、自身も改心できたと言われているそうです。

なかなかエピソードの多い教会ですね。


そしてイエスが拘留されていたという地下の牢獄へ。

イエスが岩にくっついて祈っていたため、その人影が今も残っているという岩が残っています。

そう言われると何か信ぴょう性がありますね。。。


ちなみに信者の人ももちろんこの教会にはたくさん訪れるわけで、そういった人達にとってこの教会はとっても悲しい場所なわけです。

なので、私達と同じスロットで入場したインドネシアの信者の方々も、すごく悲しい歌を歌って長い間輪を作ってお祈りしていました。

そういう人達がいる場合は決して邪魔せず、彼らのお祈りが終わってからゆっくり内部を見るようにしましょう。


外に出るとイエスが上ったと言われる石段もあります。

この石は本当に2000年前からあるそうですよ。


私はお土産さんでかわいいミニ聖書を発見したので購入。

後ろにエルサレムと印字されているので、何だか有難い感じがあります。


ここまでで午前中。

午後はベツレヘムに向かいます!
プロフィール

疲れたむーみん

Author:疲れたむーみん
27歳からのLSE留学について綴ります。
2014-15にかけてMSc in Development Studiesに在籍します。
平和構築よりで開発学を学びたいです。
座右の銘は「努力した者が成功するとは限らない。しかし成功する者は皆努力している。」by ベートーベンです!

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